【大腿骨骨折】入院中・・・病院内でのデイケア体験
大腿部頸部骨折で再び入院から、手術を経て現状について・・・。
ハンセンピンを2本使用した手術も無事終え、翌日からリハビリが開始しました。
1日目のリハビリはあいにく自分が仕事だったので立ち会ってはいなかったのですが、土日がリハビリがお休みで、ゆっくりリハビリに立ち会えたのが火曜日だったのですが、(術後5日)
もう歩行器でどんどん歩いてる・・!
一般的にどういう流れなのかはよくわからないのですが、恐らく母の場合痛みに強いというのが良い方向へ向かっているようです。
(ただ認知症かもしくは脳の何かが作用している可能性もある)
さすがに歩行器で歩いている最中は「痛い?」と尋ねると「んー、ちょっと痛いかな」といいつつ、結構痛そうではありました。
水曜日にはトイレ介助も家族でしても良いとのことだったので積極的にすることに。
そしてそう言われた時に限ってあまりトイレには行かない(笑)
そして水曜日に病院で行っている1時間程のデイケアを一緒に体験、楽しかった〜!
続きを読む【ただの日記】お母さんの趣味とか症状とか
週に2日介護・・というか母に会う為に実家へ。 今日は穏やかな1日でした。
母は元々多趣味な人でわたしもかなり影響を受けました。
音楽(洋楽・邦楽どちらも!)や小説。洋服や絵を描くことなど。 おかげでわたしもそういった関係の職へついたりもしました。
母は脳出血の発症以降、そんな趣味のうちのほとんどに興味がなくなってしまいました。
音楽も、母が大好きだった曲があり、それらをかけるとさすがに「お〜ええやんw」と反応はあるのですが、大抵は心ここにあらず・・・。
ファッションに関してはほぼ無関心。
もともとコンプレックスの強い人で(言葉の使い方が合ってるのか怪しいですが)、身だしなみや体型にこだわる人だったのが、それらも全く興味が無くなったようです。
続きを読む【デイサービス】はじめてのデイサービスの時。見学など。
今更ですが、初めてデイサービスへお世話になったときのことをお話しようと思います。
過去の日記にもありますが、基本父はお金を払って人に世話になるのを異常に嫌がります。
2016年6月末に慢性期病院から退院してから、実際にデイサービスへお世話になるまで半年ほどかかりました。
退院時から「週1日だけでも」とコンコンと伝えてはいたのですが、時間かかったな〜。
わたしが母をデイサービスへ行ってもらいたかった理由が何点かあり、
デイサービスへ行ってもらいたい理由
【1】父の介護の負担を減らす
当然の理由ではあります。でもそれよりも重要だったのが以下2点・・・
【2】父と母の離れている時間を作る
慢性期病院へ入院中、父は毎日、一日と空けずずっと母のそばにいました。病院の看護師さんたちから献身的であると褒められなおさら休まず行くように。母は正直かなり嫌がっていました。私も嫌でした。アララ。
【3】プロにリハビリをしてもらいたい
もとから運動が大嫌いな父。更にもう当時で74歳と高齢なので更に歩く事を嫌がる。車ででかけるのは好きなので父の運転で母と毎日出掛ける。74歳の運転・・正直不安・・。「そんな毎日でかけなくても」と伝えると「お母さんがかわいそうやろ!」と・・・いやいやいや〜。おかげさまで母の退院後わたしは免許を取りに行きました。
【ただの日記】母が一人で外出。救急隊員の方からの電話。
言葉としては差別用語。として扱われるそうですが
人に伝えるとすれば「徘徊」という言葉となってしまいます。
徘徊・・・・母はどこかに帰ろうとしての目的のある行動だったのですが・・・。
※結論から言えば、母は大事には至らずすぐに自宅へ帰っています。(大事に至っているともある意味言えるが)
順を逐ってまとめると、
- 当日わたしは仕事の日で、父と母の二人だけだった。そして母はデイサービスの日だったので、16:30頃に恐らく家に送っていただいていた。
- 17:00頃、仕事中に突然パニックになっている父から電話が入る。
「お母さんがいなくなって!で、で、ぼくはチャーハンを作ろうとだいどこr・・いまさがしt/・あ!ごめん後で掛けなおs」 - 掛け直すもでてもらえない。
- 1,2分後知らない携帯番号から着信が入るのですぐ出る。救急隊員の方からだった。