お母さんの介護日記

脳出血・脳梗塞を経て、認知症・パーキンソン病を発症した母と、老々介護する父、近所に住む私の、備忘録を兼ねた介護日記です。

【今に至るまで】2度目の入院-脳梗塞

1度目の入院時にも行ったMRIの検査結果などから、今度は脳梗塞と診断されたお母さん。

脳出血の時もそうでしたが、そのように診断されてもまるで他人事のように「ふうん‥」といった反応でした。

脳出血の時とは反対側の脳で起きていたようで、脳出血後に発症することはしばしばあると説明されました。

日も経ってきて、どちら側の脳だったかは覚えていませんが、顔の麻痺は、反対側に起きていました。父に伺うと、今回の入院の2日前位から少し様子がおかしかったそうです。

近くにいる方がピンとこない

前回の脳出血であんなに時間の大切さを痛感したのに、なぜ病院へ行かなかったのか責めたくなりましたが、私に父を責める資格は微塵もありません。

私が今すぐ病院行こう!と言った時に「大丈夫やろ」と言われた時は言い争いになりましたが‥すぐ側にいる人にはピンとこないのかもしれません。(私も脳出血の時に隣にいてピンとこなかったので)

しかし、今回は前回の事があったので正直かなり腹が立ちました。ただ、人に腹を立ててる暇があれば、毎日家まで様子を見に行くべきだったのです。脳出血からの退院後に回復している様子を見て安心してしまっていました。

前回の入院時との違い

話は戻って、危険な状態からは無事抜け出すことができたお母さん。今度はまさかその後何ヶ月も入院することになるとは思いませんでした。

前回の入院時と大きく違ったのが、失禁でした。

正直かなりショックを受けました。

点滴を受け、トイレに行く時はナースコールで看護師さんを呼ばなければならなかった為、1度目はウッカリだったのかなと思ったのですが、2度目に起きた時は(あれ・・・?)となりました。

お母さんはそれを悟られたくない為、気づいていない私が「看護師さんに言って、病院内散歩しよや〜」と言っても立ち上がってくれません。

(母一人での行動は制限されていました。)

運動しないと体が動かなくなりそうで怖かったので、なんとか立ち上がってもらうと失禁が分かるといった具合でした。

気まずそうにする母に

「なんや〜、うちでもちょいちょいやるから気にしーなやー」とこっそり看護師さんに頼んでシーツや服を交換してもらいました。

そんな日々が数日続き、ついにオムツ(+パッド)をすることに。そして日を追うごとに、お母さんは失禁することに抵抗がなくなっているようでした。

父は後日、この時にオムツを履くようになったから失禁癖がついた!と一時怒っていましたが、認知的な問題で失禁している可能性もありますが、脳梗塞の後遺症の可能性もありますし、私はそのせいだったとは思っていません。安心して失禁できるよう(ベッドを濡らしてプライドを傷つけるくらいなら)オムツとパッドは使用するべきだと私は思っています。

(後日記載しますが、母の失禁については入院が続くにつれ状態が悪くなるのですが、退院後にかなりよくなっています。未だにパッド等は使用していますが、失禁回数はかなり減りました。)

毎朝、仕事へ行く前に病院へ寄り、母とほんの少しの時間だけ病院内を散歩するときに、「せっかく立ち上がったし手洗いついでに行っとく〜?」だったり「うちトイレ行きたいから一緒についてきてや〜」と誘ったりしていました。

ただ、そういう習慣が始まり最初の頃は、私が隣の個室で用を足して(何もせず、足した振りの事も多かったですが)出て待っていると看護師さんが慌てて来ることがあり

(そうか・・・トイレを流すボタンがどれかわからなくてナースコールを押したんだな・・・)

という事も度々あり、更にはパッドを便器の中へ入れてしまうことも少なくなかったので、段々と慣れてきた頃には隣の個室から

「お母さ〜ん、そのトイレ、自分で流さんくても勝手に流れるやつやから終わったらそのまま出てきたらええねんで〜。最近のトイレは便利すぎて分かりづらいよな〜」とか

「あ、そうそう、パンツ(実はオムツですが)にはさんでるナプキンみたいなやつ(実は尿とりパッドです)、便器の中に捨てたら大変なことなるからそのままパンツと一緒に履いてや〜〜」

とその都度声がけすることになりました。

(母は、自分がオムツや尿とりパッドをしている。という自覚が半分あり、半分は無いのです。つい最近も父が薬局でオムツコーナーを見ていると、離れたところから「お父さん、えらいコーナーおるな〜何してるんやろ」と言っていたぐらいなので。心のどこかではオムツをしている。と分かっているはずなのですが、そう思いたくないのかもしれません。)

正直トイレのドアを開けたまま見守る方が楽なのですが、こちらが疲れない限りは、母は(自分では)一人で当たり前のようにトイレを使用できている。と思ってもらいたかったのです。

慢性期病院への転院

脳出血のときの1度目の入院の時同様、理学療法士さんや作業療法士さんと日々リハビリに励む母。自身の名前や住所も忘れてしまってはいるものの、大好きな絵を描くことに関しては感覚を失っていないことに嬉しく思いました。覚束ない動作ではあるものの、理学療法士さんも驚くほど体力もある母。小柄だけども、私よりもよく動いていたことがとても助けになっていました。

(自分も日頃から運動するよう心がけたいものです。)

近所の大きな病院で、綺麗で近くて無料の送迎バスもあり、看護師さんや介護士さんも優しく大好きな病院ではありましたが、

ある日転院することが決まりました。

近年当たり前のようなのですが、急性期が過ぎると、慢性期の患者様を看て頂く病院へ移らなければなりません。

 次の記事では転院時のことについてお話しようと思います。