お母さんの介護日記

脳出血・脳梗塞を経て、認知症・パーキンソン病を発症した母と、老々介護する父、近所に住む私の、備忘録を兼ねた介護日記です。

【ただの日記】お母さんの趣味とか症状とか

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週に2日介護・・というか母に会う為に実家へ。 今日は穏やかな1日でした。

母は元々多趣味な人でわたしもかなり影響を受けました。

音楽(洋楽・邦楽どちらも!)や小説。洋服や絵を描くことなど。 おかげでわたしもそういった関係の職へついたりもしました。

母は脳出血の発症以降、そんな趣味のうちのほとんどに興味がなくなってしまいました。

音楽も、母が大好きだった曲があり、それらをかけるとさすがに「お〜ええやんw」と反応はあるのですが、大抵は心ここにあらず・・・。

ファッションに関してはほぼ無関心。

もともとコンプレックスの強い人で(言葉の使い方が合ってるのか怪しいですが)、身だしなみや体型にこだわる人だったのが、それらも全く興味が無くなったようです。

ちなみにコンプレックスの件については、むしろ良かったなとは思います。

見た目にこだわるあまり、やや摂食障害の気もあったのが、それは今はよく食べてふくよかになりました。(脳出血前はカリカリでしたので)。

しばらくは、音楽やファッションに興味の無くなった母にショックを(勝手にひとりで)受けていたりもしたのですが、母の中で残っている趣味もあります。

それが・・・・イラストや(猫の)写真に対する愛情・・・・?

以前のように絵が描けず、絵を描くこと自体はかなり減ってしまったのですが、塗り絵で発散している模様。

家にいると(父が大好きな)テレビがついていたりして集中力がかなり散漫になりあまり手がつかないのですが、デイサービスで母の好きな動物などの塗り絵をさせていただいており、それらを定期的に受け取るのですが、なかなかおもしろい配色で・・・。

36歳にしてまだまだ母から学ぶことは多そうです。

パーキンソンで認知症の母の覚醒する瞬間

塗り絵の話とは全く関係ないのですが

「覚醒」だなんて言ったら母に怒られそうですが、ピンとくる言い方が「覚醒」だったのでそう表現させていただきます。

はっきり言って、普段基本は眠っているような夢で喋っているような喋り口調・内容です。

散り散りになった遠い記憶や近い記憶を散文をまとめるような形で言葉にして会話をします。(基本は古い記憶を引き出すことが圧倒的に多いのですが)

慣れっこにはなっているのですが、1分前に伝えたことを何度も繰り返すことは当たり前です。苦ではありません。

わたしが実家にいても、わたしがいるから「今日は日曜日やろ?」となりますし、「そう思うやろ?実は違うねん。今日は火曜日やで」と言ってもやはり5分後くらいには「今日は日曜日やから車が多いな〜」とか言ったりします。それが当たり前になっています。

が、しかし・・・

パーキンソンの症状なのか、アルツハイマーの症状なのかはわからないのですが、以下のような状況があります。

母が

◆(自発的な)運動量が多く、はつらつとしているとき = 物忘れがかなりひどい(黄昏症候群も強い)

◆(自発的な)運動量が少なく、ぼんやりしているとき = 比較的物忘れがやさしい(黄昏症候群もほぼない) = これをあえて覚醒と呼びます。

つまり、こちらが不安になるような症状の日は逆に記憶が安定しています。

(あくまで母の場合です)

上手く立ち上がれなくて、こちらが不安になるような後者の日は、わたしが自宅へ帰るときにほぼ必ず言ってくるのが

「●●(わたしの名前)、ごめんないつも。ありがとう」 (朝わたしが「腰がいたいねん〜」と言ってたのを覚えており)「腰大事にしいや」

(私「えっ・・・!?!?!?!?おおお〜〜〜〜!!!(泣」)

と寂しそうに玄関で見送ってくれます。こちらからしたら「何言うてんの、こっちがありがとうやわ。」ですが。

前者の場合は「え、帰んの?わたしも帰るわ。え?ここが家?何言うてんの。いやや。帰る!」ですw

うーむ。不思議だ。

しかし運動好きだった母が若いころに貯金していた筋力もそろそろ尽きかけて、リハビリデイサービスの協力でなんとか持ちこたえてはいるが、忘れっぽい母をだますようで申し訳ないが、近頃30分おきに無闇に用事を作って立ったり植木の状況を見てもらうなどでウロウロしていただいているので、どちらがいいのかは分からない・・・・。